義経・源平ゆかりの地と「料亭まつや」で昼懐石

ツアー概略

安宅の関

兄の頼朝に追われる身となった義経は、幼い頃自分を育ててくれた藤原秀衡の下を目指し、京より奥州平泉へ逃亡を図ります。
義経は北国へ落ちのびる際、北陸道、石川県を通過したとされており、石川県各地に義経の伝説が残されています。小松市でも安宅の関と安宅住吉神社など足跡を残しています。
源平合戦ゆかりの地として斉藤実盛の兜を奉納してある多太神社も見学します。

出発日

平成26年3月より、毎週 月・火・水・木・金曜日(特定日は除きます)
グループ・団体貸切承り中(受注型企画旅行):お問合せ下さい

ツアー料金 旅行代金の目安です

大人 13,800円 小人 8,800 円(3歳~中学生未満)(2歳以下は無料)
申込金@5,000円 残りの旅行代金は旅行当日係員にお支払い頂きます。(募集型企画旅行の場合)

催行人数

20名 (最少催行人数4名)

その他

食事条件:朝なし、昼付き、夕なし
添乗員:同行
交通機関:小型バス又は観光タクシー

旅程

日次 旅程
1日目

09:30 JR小松駅・小松空港 集合
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----多太神社宝物館
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----菟橋神社(牛若松)
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----安宅住吉神社(弁慶逆植之松)
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----安宅の関・勧進帳ものがたり館
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----料亭まつ家(昼食)
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----ぶっさんや(小松駅前)
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13:40 JR小松駅・小松空港 解散

見どころ

多太神社 斉藤実盛の兜

篠原の合戦で実盛を討ち取った木曽義仲は、幼い頃自分の命を救い、育ててくれた斉藤実盛と思わぬ形で涙ながらの対面をします。そのことをいたく哀れんだ義仲は実盛の供養、源平合戦の勝利を祈願して実盛の兜、鎧、大袖、脛当、直垂、表指矢を多太神社に奉納しました。実盛ゆかりの品、実盛の銅像などが建っています。多太神社 齋藤実盛の兜

安宅住吉神社
古くは奈良時代の書物にも登場する神社です。義経主従は安宅の住吉神社で休憩したと云われ、境内には
「弁慶の逆植の松」と呼ばれる大きな松があります。その昔、源の義経一行は難関 「安宅の関」を見事突破できたのは、安宅住吉の大神の御神徳の賜物と感謝の祈りを捧げました。歌舞伎十八番のひとつ勧進帳で全国に有名になった「安宅の関」に隣接する全国唯一の難関突破の守護神を祭ります。
安宅住吉神社
安宅の関・勧進帳ものがたり館
日本海の安宅海岸に隣接。シアターゾーンでは歌舞伎「勧進帳」を約12分の映像で解説。実際に十代市川団十郎さんが舞台で袖を通した衣装を展示。義経と弁慶一行が何故安宅の関を通らなければならなかったのかを年表などで紹介。明治時代の「文楽・勧進帳」の人形も展示。安宅発見コーナーでは北前船で栄えた安宅の街並みを一望出来ます。
安宅の関 勧進帳物語館
安宅 料亭まつや
料亭まつ家は日本建築の良さを伝える落着いたお部屋を取り揃え、潮香ただよう客室で新鮮な食材をめしあがって頂くことが何よりのもてなしと考え、80年の歳月が流れました。三代にわたる御ひいきの中、名物料理も数多く、お客様の御要望にあった献立作りがまつ家のもてなしです。「時にあらずば食せず」の言葉通り食文化は、食材の持つ「旬」にこだわり、天然味が勝負と考えます。美味求真の心でもてなしている料亭です。安宅 料亭まつや
安宅の関

山伏姿の義経主従が安宅の関にさしかかると富樫は厳しく尋問します。弁慶は疑いを晴らすため、機転を利かせ懐の中の白紙の巻物を取り出し、勧進帳を空読みし「不動の見得」を切ります。関超えが適うかと思ったその時、強力(ごうりき)姿の義経が富樫の目に留まり「その姿が義経によく似ている」と富樫の疑念は増すばかり。すると弁慶は「お前が義経に似ているせいで疑われたではないか!この憎らしき奴め!」と持っていた錫杖で義経を殴りつけました。富樫は弁慶のあまりの忠誠心に心を動かされ、強力が義経に間違いないと確信しながらも通行を許しました。この物語は歌舞伎十八番の内勧進帳として広く世に知られています。

安宅の関

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2件のコメント

  1. 石川県は出身地なので、義経、弁慶にまつわる場所には、小さい頃から遠足で行きました。
    日本海の幸、山の幸と食べ物もおいしくて、風光明媚な所でした。それで現在でも、ずわいがにや、こう箱がにが好きです。金沢在住でした。その頃は、興味が少なかったのが残念と思う事が多々あります。
    まさか自分の住んでいた地層に砂金が含まれていたとは。砂金の取れる川など今になって知りました。
    歴史あるので、平氏源氏の時代からのお正月の遊びに源平旗合戦という旗の取り合いゲームが、金沢に残っていました。なんといっても加賀百万石からのいろんなしきたりが、脈々と継がれていました。お正月には、かぶら寿司を食べ福梅という和菓子を戴きます。福梅は、加賀前田藩の梅鉢の御門の最中のような、中にあんこがはいったお菓子です。
    女子は、小さいうちから日本舞踊、茶道、華道、など芸事が盛んでした。私は、3歳から日舞を習わされ伝統美に触れてきました。前田利家のころから徳川将軍からにらまれないように芸事に励み戦意のないことをアピール。又どの家庭も勉強に打ち込む雰囲気が強くありました。言葉も独特。関西弁と似ていそうで違う。ダメは、だちゃかん。上げだしたらきりがないが言葉は違う。ほんなら、終わりにしとくがや。と言います。最近は温暖化で雪が少なくなりましたが、昔は、屋根に雪がたくさんつもり雪下ろし雪かきが大変で、温暖な湘南地区に住んでしまったら、雪国に住みたくありません。北陸新幹線
    ができて、関東圏から近くなりましたが旅行者には、あの雪の寒さは住んでみないとわからないものがあります。ただ、私の友達は多く残っていますが、それは、家を守るためです。伝統は、根ずいています。実家には、加賀前田藩に仕えた刀剣やりなど残っていました。きっと何百年とこの伝統は、引き継がれていくことでしょう。 

    1. 藤田様 コメントありがとうございます。石川県の特徴を詳細に記載され、居住地が変わってもここ北陸加賀・能登は思い出深いものが数多く残っていることをよく理解することができました。またご旅行の機会がございましたら宜しくお願い致します。

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